HISTORY歴史

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AREA HISTORY

閑静でありながら
歴史の鼓動を感じる町で、
上質な暮らしを。

鹿児島の礎を築いた
城下町「かんまち」

出典:かごしま都市マスタープラン

古い歴史が息づき、今も当時の趣を残す上町。その歴史は中世にまでさかのぼります。島津家が鹿児島に進出し発展させたのが、この上町です。1341年に5代貞久が東福寺城(現・多賀山公園)に拠点を築き、その後、1387年に清水城(現・清水中学校裏山)、1550年に内城(現・大竜小学校)、さらに家臣の屋敷なども多く建てられ、城下町として栄えました。そして1602年頃に始まる鹿児島城(鶴丸城)の築城は、さらなる広域な城下町の発展を促進。祇園之洲の埋め立ても進み、港湾機能も整備されました。中世から明治時代にいたるまで、上町は歴史の舞台の中心だったのです。

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「南洲門前通り」
景観計画でこれからも美しく

西郷隆盛を祭る南洲神社から続く南洲門前通り。石灯籠や石張りの歩道が印象的な一本道は、城下町の佇まいを今に残しています。風格ある南洲門前通りのまち並みを守るため、「南洲門前通り地区景観計画」が現在も進行中です。都市開発が進む中でも、行政や地域住民を中心に大切に守られてきました。建築物の高さや意匠、色彩など、まちとの調和を図りながら、歴史ある景観と眺望がこれからも受け継がれていきます。今も数多く残る史跡、南洲公園からの絶景、日没後に灯る石灯籠。住んでこそ感じられる四季の移ろいと歴史の趣。この地で脈々と積み重ねられてきた伝統と自然を暮らしに取り入れる、豊かな日々が始まります。

南洲門前通り
地区景観計画について

西郷隆盛をはじめ西南戦争の多くの戦没者の英霊を祀る南洲神社にちなんで名付けられた南洲門前通り。通り沿いには武家屋敷跡や石積みが点在し、往時の景観を今に伝えています。鹿児島市はこうした文化的・自然的資源を保全するため、景観計画を策定し、通り沿いの建物や石積みの保護、歩行空間の整備や電線類地中化を進めています。歴史と自然が調和する街並みは、今も人々に静かな誇りと豊かな時間をもたらしています。

南洲門前通りの石積
※2024年11月撮影
現地石積
※2025年6月撮影
「重富島津家上屋敷跡」に
住むよろこび

重厚な石塀が当時を偲ばせるのは、天璋院篤姫の生誕地「今泉島津家本邸跡」。そこから桜島方向に歩いていくと、まもなく「ブランシエラ南洲門前通り」建設地にたどり着きます。ここはかつて篤姫の母方「重富島津家の上屋敷」があった、歴史的にも貴重な立地です。駅前や繁華街とは一線を画す、閑静でありながらも歴史の鼓動を感じさせる上町そして南洲門前通り。情緒漂う唯一無二の地に、新たな息吹を吹き込みます。

伝統と現代が融合する
南洲門前通りの新たな価値

「ブランシエラ南洲門前通り」では、
南洲門前通りの歴史を尊重し
過去の石積を再構築することで、
歴史的価値を未来へと繋げています。

歴史を刻む石、
一つひとつに込める思い

約200kgの石が1600個集まる
南洲門前通りの石積の再構築は、
慎重で緻密な大規模作業です。
既存の石積を一度崩し、
石一つひとつに番号を振り丁寧に管理します。
その後、既存の石積擁壁の石材を
再利用・組み直し、安全性基準を満たした
新たな重力式石積擁壁※1として復元します。

作業員は、歴史と文化を未来へつなぐ
責任を強く感じながら、
一つひとつの石に心を込めて取り組んでいます。
伝統の美しさを守りつつ、
現代の技術で安全性を高めることで、
地域の誇りとなる石積を築き上げています。

石積を再構築